ハイスコアとLANケーブルの時代
四半世紀にわたり、競技ゲーミングは給与ではなく物珍しさによって支えられていた。1981年にアイオワ州オタムワでウォルター・デイが設立したツイン・ギャラクシーズはアーケードの世界記録をギネス向けに認定し、1980年のアタリ『スペースインベーダー』選手権には1万人が参加、任天堂は1990年のワールドチャンピオンシップを米国内で巡回開催した。チャンピオンたちが得たのはテレビ出演やスポンサー旅行であって給与ではなく、これが仕事になりうるという発想はSFと、先見の明ある『ローリングストーン』誌の一記事にしか存在しなかった。