中世のパリでは、毎朝壺とカップを持って街を歩き、開けたばかりの酒場の樽の中身を通行人に注いで試飲させ、値段を叫ぶ免許制のワイン売りがいた――この職業は1268年頃、エティエンヌ・ボワローの『職業の書』に成文化されている。印刷広告、瓶詰めワイン、固定店舗の登場が徐々にこの仕事を消し去ったが、ソムリエはそのテイスティングカップと営業術を受け継いだ。
ワイン売り(クリウール・ド・ヴァン)はもう存在しない。何がこの仕事を消し、どの職業がその席を取ったかを整理した。
家中の役職
中世ヨーロッパはワインの給仕を複数の役職に分けた――エシャンソンは王のために酒を注ぎ、フランスの大献酌官(グラン・エシャンソン)は宮廷の要職のひとつだった。一方でソムリエは貴族の家で物資を管理し、修道院はその時代最高のセラーを守っていた。もっとも有名なセラー係、1668年から1715年までオート=ヴィレール修道院にいたドン・ピエール・ペリニョンは、多くの村のブドウを一つのワインに配合する技術を半世紀かけて磨き上げ、今なおシャンパーニュを支配する「アサンブラージュ」の教義を築いた。
同じ時期に起きていたこと
王の墓には収穫年、農園、そして主任醸造家の名前が刻まれた約20個のワイン壺があり、事実上世界最古のワインラベルといえる。これほど精密な管理があったということは、あるワインを別のワインより上と評価できる味覚と、その評価に生活がかかったキャリアがあったことを意味する。
パリのギルド業種を体系的にまとめた偉大な文献、エティエンヌ・ボワローの『職業の書』には、カップと壺を持って街を歩き、酒場の新しい樽の値段を叫んで試飲を注いで回った「クリウール・ド・ヴァン(ワイン売り)」が含まれている。テイスティング、営業、規制がすでに一つの免許制の職業に融合していた。