何世紀もの間「マテマティクス」という称号は、天文学、暦の計算、占星術を一つの仕事として行う宮廷の役職を意味した。1601年からルドルフ2世の帝室数学者となったヨハネス・ケプラーは、惑星運動の法則を書く傍ら将軍ヴァレンシュタインの星占いを行い、占星術を「愚かな娘」と呼びながらも、その分別ある母である天文学を養う存在だと率直に語った。科学革命はこの二つの職業を分離し、占星術の側から地位を奪った。
宮廷占星術師・数学者(マテマティクス)はもう存在しない。何がこの仕事を消し、どの職業がその席を取ったかを整理した。
バグダード、ケーララ、そして中世の架け橋
ラテン・ヨーロッパの数学が衰退する一方、イスラム世界はギリシャとインドの基盤の上に発展を築いた。アル=フワーリズミーの代数、オマル・ハイヤームの幾何学的三次方程式、そして西方へと伝えられ洗練された十進法の数字である。フィボナッチの『算盤の書』(1202年)はその数字をヨーロッパの商業にもたらした。ケーララではサンガマグラーマのマーダヴァが1400年頃、円周率と三角関数の無限級数を導いた――ヨーロッパより二世紀も早く。この学派の業績はインド国外ではほとんど知られないまま近代まで埋もれていた。
同じ時期に起きていたこと
ジェロラモ・カルダーノの『アルス・マグナ』は三次・四次方程式の一般解を印刷したが、その中にはニコロ・タルタリアが1539年に秘密厳守の誓約のもとカルダーノに打ち明けた三次方程式の解法も含まれていた。タルタリアの公然たる怒りと、当時の数学者が公開の場で生計をかけて争った方程式解決対決は、ルネサンス期の数学がいかに競争的で職業的であったかを示している。
エドモンド・ハレー自らが印刷費を負担したことでようやく出版されたアイザック・ニュートンの『自然哲学の数学的諸原理』は、三法則と万有引力から惑星、月、潮汐の運動を導いた。これに続くライプニッツとの微積分をめぐる優先権論争は、イギリスと大陸ヨーロッパの数学を一世紀にわたって分断した――この分野で最も有名な、プライドの代償を伝える教訓である。