一人の医師が数百人、時に数千人の患者を抱える収容施設全体を運営し、入退所、人事、日常の運営についてほぼ絶対的な権限を持つことも珍しくなかった。抗精神病薬の登場と公的収容施設予算の縮小によって1960年代以降進んだ脱施設化は、こうした施設の大半を解体し、それを運営する役割も共に消滅させた。
収容施設監督医はもう存在しない。何がこの仕事を消し、どの職業がその席を取ったかを整理した。
収容の時代
5世紀以上にわたり、多くの社会は重い精神疾患を治療ではなく収容によって扱った――家の地下室、教会運営の救貧院、そしてロンドンのベツレムやパリの総合病院のような専用施設が次第に増え、後者は1656年までに貧民、犯罪者、精神疾患患者を一つ屋根の下に収めていた。鎖、拘束衣、檻といった物理的拘束は標準的な処置であり、精神疾患患者は寒さも痛みも恥も感じないという信念に正当化されていた。
同じ時期に起きていたこと
医師フィリップ・ピネルは、看護長ジャン=バティスト・ピュサンがすでに始めていた静かな改革を土台に、パリのビセートル病院で患者の鉄枷を外し、精神疾患患者は犯罪者でも憑依された者でもなく病人であると公に主張した――「モラル・トリートメント」の象徴的な出発点である。
ドイツの医師ヨハン・クリスティアン・ライルは、ハレで発表された論文の中で「Psychiatrie」という語を導入し、心の治療には一般医学や外科学とは異なる独自の専門分野が必要だと提唱した。
ハイデルベルクで長年患者の経過を追跡してきたエミール・クレペリンの教科書第6版は、時間とともに悪化する早発性痴呆と、回復可能な発作を繰り返す躁うつ病を区別した。この区分は今日でも統合失調症と双極性障害として診断の中に残っている。
ジークムント・フロイトの著書は表紙に1900年とあるが実際は1899年末にウィーンで刊行され、夢は無意識の願望を明かすと論じ、その後半世紀にわたり欧米の精神医学理論の多くを支配する精神分析の理論的土台を築いた。