繰り返しペストに見舞われた町は、既存の医師が逃げ出した後、貧しい患者を治療するために正式な訓練をほとんど受けていない内科医を雇うこともあった。多くはフランスの内科医シャルル・ド・ロルムが1619年に『悪い空気』を防ぐために考案した、芳香植物を詰めたくちばし型マスクと全身革製衣装を身につけた。この役割と衣装は、検疫、衛生管理、そして最終的には細菌説がヨーロッパの流行性ペストを制圧するとともに姿を消した。
ペスト医師はもう存在しない。何がこの仕事を消し、どの職業がその席を取ったかを整理した。
大学出身の内科医とペスト時代の限界
サレルノ、ボローニャ、パドヴァなどのヨーロッパの大学は医学を正式な学位に変え、大学教育を受けた内科医を理髪外科医や薬種商より上位に位置づけた。だが治療法は依然として瀉血、下剤、体液理論に依存していた。1347〜1351年の黒死病はその隔たりを露わにした。内科医はペストの症状を正確に描写できても、それを止めることはほとんどできず、17世紀までには一部がくちばし型マスクとローブを着た『ペスト医師』として流行に対応した。
同じ時期に起きていたこと
腺ペストは4年間でヨーロッパの人口の約3分の1を死に至らしめた。体液理論に基づいて訓練された内科医たちは、隔離と逃避を勧める以上のことをほとんどできず、学識ある医学理論と実際の治療能力との間の隔たりを露呈させた。
フランスの内科医シャルル・ド・ロルムは、芳香植物を詰めたくちばし型のマスクを備えた全身防護衣装を考案した。これは病気が『悪い空気』によって広がるという信念に基づくもので、ペスト時代の医学を象徴する視覚的イメージとなった。
ロンドンの内科医トマス・シデナムは、病気は体液理論ではなく観察された症状と経過によって分類すべきだと主張し、猩紅熱を麻疹と区別し、天然痘の冷却治療法を先駆けた。この著作は二世紀にわたり標準的な参考書であり続けた。
貴族院は薬種商ウィリアム・ローズの主張を認め、王立内科医協会の主張を退けた。これにより薬種商は調剤だけでなく処方も行えるようになり、この判決が以後一世紀をかけて薬種商を英国の総合診療医へと発展させる契機となった。