主に女性が担ったキーパンチオペレーターは、IBM 026や029のような機械でデータやプログラムのソースコードすら、プログラムの一行を一枚のカードに打ち込んでいた。対話型端末や画面が登場し、プログラマーが直接コンピューターにコードを打ち込めるようになると、この仕事は一世代のうちに消滅した。
キーパンチオペレーターはもう存在しない。何がこの仕事を消し、どの職業がその席を取ったかを整理した。
メインフレームとバッチ処理プログラミング
初期のプログラムはパンチカードの束として提出され、多くの場合一晩かけてバッチで実行されたため、たった一つのタイプミスがプログラマーの一日全体を無駄にしかねなかった。数学者たち、そして多数の女性たちが手計算からこの新しい「プログラミング」の仕事へと直接移行した。それが名声を伴う仕事ではなく、事務的で細部に注意を払う仕事とみなされていたためだ。この10年でFORTRAN(1957年)とCOBOL(1959年)が定着し、このハードウェアで信頼性の高い大規模システムを構築することの純粋な難しさが、次の時代が名付け解決を試みる「ソフトウェア危機」を準備することになった。
同じ時期に起きていたこと
ハーマン・ホレリスのパンチカード式集計機が約1年で米国国勢調査を処理した。前回の集計は手作業でほぼ8年かかっていた。彼の会社は後にIBMの一部となる。
ケイ・マクナルティ、ジーン・ジェニングス、ベティ・スナイダー、マーリン・ウェスコフ、フラン・バイラス、ルース・リヒターマンが、ペンシルベニア大学の部屋いっぱいの大きさのENIACを、マニュアルもプログラミング言語もない中でスイッチを物理的に設定しケーブルを繋いでプログラムした。
レミントン・ランド社でのホッパーのA-0システムは、記号的な数学表記を自動的に機械語に変換し、サブルーチンのアドレスを手作業で書き写すというミスの多い慣行を置き換えた──以後のあらゆるコンパイラの直接の祖先である。
ジョン・バッカスが率いるIBMのチームが約2年の作業を経てFORTRANをリリース。2年以内に、米国で実行される機械コードの半数以上がこの言語で書かれるようになったとされる。
その仕事は今どこにあるか
現代生活を動かすコードを書き、テストし、保守する仕事であり、AIが自分自身の日々の作業を自動化していく様子を最初に目の当たりにしている職業の一つでもある。
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