フリードリヒ2世以来、医師から法的に分離され同業組合で養成されたヨーロッパの本来の薬商人は、自らの後継者たちによって解体されていった。イングランドでは、アポセカリーは1704年のローズ事件で患者に助言する権利を勝ち取り、一般医療へと移行していき、今日のGP(総合診療医)の祖先となった。一方で化学者・薬種商が調剤業を引き継いだ。工業的な医薬品製造がこの過程を完成させ、1900年頃までには調合を行っていた商人は医師か薬剤師か工場のいずれかになっていた。
アポセカリーはもう存在しない。何がこの仕事を消し、どの職業がその席を取ったかを整理した。
バグダードと最初の本格的な薬局
薬剤師という職業を発明したのはイスラーム世界である。紀元754年頃に現れたバグダードの民間経営の薬店は、医師とは別に認められた専門家であるサイダラーニーによって運営され、国家の役人が純度と正しい重量を検査した。病院の調剤室、シロップ(シャラーブ)やジュレップが実践に取り入れられ、アル=ビールーニーは薬学を独立した学問と定義する書物を著し、後にイブン・アル=バイタールは三大陸から約1,400の薬物を編纂した。ヨーロッパがついに薬学を医学から分離したとき、それはイスラーム世界が何世紀も運用してきた仕組みを制度化したにすぎなかった。
同じ時期に起きていたこと
エジプトの偉大な医学パピルスの一つが、ひまし油や蜂蜜の傷薬から具体的な調製法や投与法まで、数百の治療法をまとめている。呪文と並んで、現代の薬剤師も一目でそれと分かる実用的な処方集が残されている。
シチリア王国を統治する法典の中で、皇帝フリードリヒ2世は医師が薬局を所有することを禁じ、薬価を固定し、アポセカリーに宣誓と検査の下で確実に薬を調製することを義務付ける。この『サレルノ勅令』はヨーロッパの薬剤師の法的な出生証明書であり、その医師と薬剤師の分離は今もほぼ世界中で法として残っている。
ニュルンベルク市がヴァレリウス・コルドゥスの『ディスペンサトリウム』を法的拘束力を持つ薬の基準として採用する。政府が領内すべての薬局に一つの公表された処方に従って薬を調製するよう命じた最初の例であり、ロンドンが1618年にこれに続く。今日の各国・国際薬局方は、この発想を直接受け継いでいる。
ドイツ・パーダーボルンの20歳の薬剤師見習い、フリードリヒ・ゼルチュルナーがアヘンの有効成分を単離し、後に夢の神にちなんでモルヒネと名付ける。これは史上初めて単離されたアルカロイドであり、植物由来の薬の力が単一の精製可能な化学物質に宿っていることの証明、すなわち現代薬学の創始事件である。