大規模な建築事務所はかつて、建築家のスケッチをリネンやフィルムにインクで正確な縮尺図面へと落とし込む、独立した無資格の職種である製図工の部屋を抱えていた。トレーサーからチーフ製図工まで昇進しながら、正式な「建築家」になることは一度もない者も多かった。1982年発売のAutoCADとそれに続くCADソフトウェアは1990年代にかけて製図室を空にし、その肩書きは主に「CADテクニシャン」として画面上で同様の仕事を続ける形で生き残っている。
製図工はもう存在しない。何がこの仕事を消し、どの職業がその席を取ったかを整理した。
アカデミー、鉄、そして免許制の専門職
英国王立建築家協会(1834年)や米国建築家協会(1857年)といった建築学校・専門団体が、緩やかな職業を試験・倫理・専門誌を備えた組織化された専門職へと変えた。一方、1851年のジョゼフ・パクストンの水晶宮に見られる鋳鉄や板ガラスといった新素材が建築可能な範囲を広げた。1897年にはイリノイ州が「建築家」を法的な免許制の肩書きとする米国初の法律を制定した。
同じ時期に起きていたこと
パリのエコール・デ・ボザールが、アトリエ制と審査付きコンクールを基盤とする建築専門課程を制度化。パルティ、エスキス、シャレットといった用語と方法論がヨーロッパと南北アメリカの学校に広がる。
イリノイ州が米国初の建築免許法を制定し、初めて「建築家」を法的に保護された肩書きとする。他の州もこの後20年で同様の制度を採用していく。
ヴァルター・グロピウスがバウハウスを設立し、建築・工芸・工業デザインを一つのカリキュラムに統合。1933年にナチスの圧力で閉校となるが、教員たちは海外に散り、モダニズムを世界に広めた。
オートデスクがデスクトップ向けAutoCADをリリース。以降20年でコンピュータによる製図が製図板に取って代わり始め、今日の完全デジタル化された実務への第一歩となった。