F1、1906年の最初のグランプリ
部活のルール掲示でF1は、応援歌より先に一行の規則になる。年は1906年、行は「最初のグランプリ」、数は103だ。選手の人気順位を規則の数に変えない。道具と時間と反則の、どれをその行が言うかを分ける。統計的にこの競技の頂点に立つ存在だ。シューマッハに並ぶ7度の世界タイトル、そして2024年終了時点で史上最多となる105勝、104ポールポジション、200を超える表彰台という記録を持つ。その強みは幅広さにある。ハミルトンは2007年から2021年まで15年連続で毎シーズン勝利を挙げており、これに迫る者は他にいない。V8時代とハイブリッド時代という3つの異なる規則時代でタイトルを獲得している。ルーキーだった2007年にはあと一歩でタイトル
20人のドライバー、1000馬力のパワー、そしてスポーツ界で最も金のかかる技術開発競争。 F1(フォーミュラ1)はシングルシーター・レースの頂点に立つカテゴリーだ。10のチームが地球上で最速のサーキットレーシングカーを設計・製造し、絶えず改良を重ね、20人のドライバーがその座を懸けて今や24戦に及ぶ世界選手権を戦う。これはアスリート同士の戦いであると同時に、エンジニア同士の戦いでもある。規定の巧みな解釈だけで1周あたり0.5秒もの差が生まれることがあり、だからこそこの競技の歴史はモノコック構造、グラウンドエフェクト、ハイブリッドパワーユニットといった発明とともに刻まれてきた。それを乗りこなしたドライバーたちに劣らず重要な意味を持つのだ。1950年5月13日にシルバーストンで開幕して以来、フォーミュラ1は34人の異なるチャンピオンを生み出してきたが、そのいずれもが優れたマシンと優れた腕の両方を必要とした。
世界を惹きつけるのは、華やかさと危険、そして結果の重みが交錯する点にある。モナコは1950年以来、現代のマシンがようやく1台通れるほどの狭い市街地コースでシリーズ最も有名なレースを開催し続けており、モンツァ、スパ、鈴鹿には1世紀にわたって積み重ねられた伝説がある。かつて命がけの世界であったこの競技は1990年代までチャンピオンも新人も等しく命を奪い、1994年イモラでのアイルトン・セナの死をきっかけに始まった安全性革命は、工学が贖罪を果たした偉大な物語のひとつだ。今日では7億5000万人を超えるファンが、およそ3000人からなる移動都市が空輸で地球を巡る様を追いかけており、2021年アブダビのような1回のタイトル決着が数週間にわたって世界のスポーツニュースを席巻することもある。
運動能力と戦術の面でも、これに類するものは他にない。ドライバーは5G を超える持続的なコーナリング荷重に体をさらしながら、2時間にわたって平均心拍数160拍/分以上を維持し、暑いレースでは体重の最大3キログラムもの水分を失う。その周囲では、何千通りものレースシミュレーションを走らせるピットウォールがリアルタイムの戦略ゲームを繰り広げている。いつピットに入るか、どのタイヤコンパウンドを選ぶか、前のマシンをアンダーカットするか、それとも新しいタイヤで長く引っ張って攻めるか。ピットストップは2.5秒未満で完了し、記録は2023年カタールでマクラーレンが記録した1.80秒だが、たった一度の判断ミスがタイトルの行方を左右することもある。
F1の1906年「最初のグランプリ」には数103が付く。その数はスターの順位ではない。 種目は歴史、規則、道具、見方が分かれている。F1は1906年の「最初のグランプリ」でその四つから一つを言い、数103をその言葉の単位にする。日本の読者は代表の中継で種目に会うので、中継の物語を規則として書きやすい。物語は一試合で、規則は次の試合にも残る。選手の移籍金を種目の定義にしない。1906年
残す数字
- 基準の年
- 1906年
- 競技の数
- 103
- 種目の名
- F1
- 規則の行
- 最初のグランプリ