教授、1231年のパレンス・スキエンティアルム、大学の大憲章
進路のしおりで教授を書くとき、最初の文はすることだ。年は1231年、行は「パレンス・スキエンティアルム、大学の大憲章」、現場の数は9。求人票の給与欄を、仕事の中身に置き換えない。ヴィルヘルム・フォン・フンボルトが構想した新設ベルリン大学は、この職務を再定義した。教授は継承された知の蓄積を単に伝達するのではなく、独自の知を生み出すべきであり、研究そのものを通じて学生を教えるべきだというのである。ゼミナール、実験室、博士号、教える自由と学ぶ自由――このドイツ型モデルは、世界中が模倣する雛形となった。
学問を公に語り、教えることで報酬を得る者――プラトンの学園から終身在職権、そしてAIチューターまで、25世紀にわたる教育と発見の歴史。 「教授」という語はラテン語の、すなわち「公に宣言する」に由来する。教授とは、ある学問分野を公然と、生業として語る者を指す。この役割は大学そのものより古く、プラトンはアテネの林で40年にわたり教え、孔子は乾し肉一束を差し出せる者なら誰でも弟子に取り、9世紀のフェズや11世紀のボローニャの学者たちは、今日も存続する制度へと教育を組織化した。半ば教師、半ば研究者という現代の教授像は、それよりずっと新しい発明であり、1810年のベルリンに遡る。
ほぼどこの国でも標準的な経路は一つしかない。博士号を取得し、数年間の任期付き研究職を経て、博士号取得者の大多数が決して得られない終身の学術職に至る、というものだ。この養成期間が長いのは、医学のように知識そのものが危険だからではなく、この仕事がより希少な何か――かつて存在しなかった知識を生み出し、その欠陥を見つけることで報酬を得ている競争相手の前で公然とそれを擁護すること――を要求するからである。選抜は絶えず行われ、その大半は論文発表を通じてなされる。 本ページはアカデメイアと中世の親方組合(ギルド)から、フンボルトの研究大学、そして世界中の大学を増殖させた戦後の拡大期に至るまで、この職業の変遷をたどる。今日、各国で人々がどのように実際に教授になるのか、講義以外に労働週が実際に何を含んでいるのか、25世紀にわたってこの技芸の頂点に立った人物は誰か、そして人工知能がこの仕事のどれほどを現実的に吸収しうるのかを扱う。
研究大学ではほぼ例外なく必要であり、博士号はほぼすべての国でこの職業の基礎的資格となっている。主な例外は、著名な裁判官・建築家・芸術家・経営者などが自らの専門技芸を教えるために任命される「実務教授」、そして専門的な実績が博士号の代わりとなる一部の音楽院・美術系の伝統である。ドイツ語圏の制度は歴史的にさらに厳しく、ハビリタツィオンと呼ばれる第二の博士号後の論文を要求してきた。 通常、中等教育修了後10年から15年かかる。学士号に3~4年、博士号に4~7年、その後2~6年のポスドクや任期付き職を経て初めて終身職に就く。終身在職権や同等の恒久的地位は候補者が30代半ばから後半で得ることが多く、ドイツ語圏や一部のアジアの制度ではさらに遅くなることも多い。
教授を言うとき1231年、「パレンス・スキエンティアルム、大学の大憲章」、9を残す。年収の数字はその三つの代わりではない。 職業の文章は、入る経路と、一日の技術と、責任が終わる場所を分ける。教授は1231年の「パレンス・スキエンティアルム、大学の大憲章」でそのうち一つを言い、数9をその言葉だけに付ける。日本の読者は求人で職業に先に会うので、歓迎条件を歴史として書かない。資格と慣習と道具は別の文だ。一つの文の数を、別の文の年収のように読まない。1231年
残す数字
- 基準の年
- 1231年
- 仕事の数
- 9
- 職業の名
- 教授
- 業務の行
- パレンス・スキエンティアルム、大学の大憲章