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仕事の経路

経済学者、1817年のリカードの比較優位

進路のしおりで経済学者を書くとき、最初の文はすることだ。年は1817年、行は「リカードの比較優位」、現場の数は115。求人票の給与欄を、仕事の中身に置き換えない。アテナイの軍人・歴史家が荘園経営についての対話篇を著し、その題名――オイコス(家)とノモス(規則)に由来――がやがて学問全体の名称となる。農業、家令の訓練、夫婦間の分業を、良き経営という一続きの問題として扱う。

希少性を研究する学者――アダム・スミスのピン工場から中央銀行の意思決定室まで、どんなモデルも捉えきれないものを予測せよと求められ続けている。 「エコノミスト」はギリシャ語のオイコノミア(家政)に由来し、歴史のほとんどの期間、それは荘園を切り盛りする人を意味するにすぎなかった。アダム・スミスは自らを道徳哲学者と呼び、イギリス初の政治経済学教授トマス・マルサスが東インド会社カレッジで任命されたのは1805年のことである。経済全体を測定し、モデル化し、予測する俸給専門職は誕生してからまだ150年ほどしか経っておらず、鉄道より若い。 資格制度も業務独占資格もなく、誰でも経済学者を名乗れるが、実際の序列は数ある職業の中でも屈指の学歴依存型である。中央銀行、IMF、大学の研究職は事実上、数学重視の学部を経て5〜6年かかるPhDを要求し、年に一度の採用儀式「ジョブマーケット」が、この分野の新規博士のほとんどがどこでキャリアを始めるかを決めている。

本ページは、クセノポンの荘園経営論、イブン・ハルドゥーンの『歴史序説』から、スミス、リカード、マルクス、ケインズを経て、現代の計量経済学者やランダム化実験の担い手たちまで、この職業の歩みをたどる。今日どのように人々がこの分野に入るのか、中央銀行や大学の中での日々の仕事はどのようなものか、誰がどうやって頂点に立ったのか、そしてAIが実際にどれだけこの仕事を吸収できるのかを扱う。 この肩書には大きく3つの道が共存する。研究と教育を行う学者、中央銀行・省庁・IMFなどの政策系経済学者、そして銀行・コンサル・テック企業の民間経済学者だ。日々の仕事はどこも似ていて、データの整理、モデルの推定、執筆、そしてその結果を実際に行動を起こす人々に説明することである。

法的には不要――肩書はどこでも保護されていない。実際には、大学・中央銀行・国際機関の研究職はほぼPhD限定である一方、省庁・商業銀行・コンサルは修士レベルで採用し、英国の政府経済サービス(GES)は学部卒からそのまま採用する。PhDは研究トラックの組合証であって、この職業全体の必須条件ではない。 米国労働統計局によれば2023年の米国中央値は約11.5万ドルで、連邦準備制度やIMFのエコノミストはそれを上回り、大手銀行のチーフエコノミストは50万ドル以上を稼ぐ。名目額では他地域はずっと低く、インドやブラジルの政府エコノミストは同じ仕事をしても米国の水準のごく一部しか得られない。

経済学者を言うとき1817年、「リカードの比較優位」、115を残す。年収の数字はその三つの代わりではない。 職業の文章は、入る経路と、一日の技術と、責任が終わる場所を分ける。経済学者は1817年の「リカードの比較優位」でそのうち一つを言い、数115をその言葉だけに付ける。日本の読者は求人で職業に先に会うので、歓迎条件を歴史として書かない。資格と慣習と道具は別の文だ。一つの文の数を、別の文の年収のように読まない。1817年

残す数字

基準の年
1817年
仕事の数
115
職業の名
経済学者
業務の行
リカードの比較優位

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