ナディア・コマネチ
ボリス・シャフリン
指標別に見る
バーはこのリストの首位を基準にした相対値です。
結論
ボリス・シャフリンが3指標中3で優位。 当サイトの歴代ランキングではナディア・コマネチが7位、ボリス・シャフリンが9位です。
ナディア・コマネチの主張
体操史上最も有名な瞬間は彼女のものである。1976年7月18日、モントリオール大会で当時14歳だった彼女は、段違い平行棒でオリンピック体操史上初の完璧な10.00を記録した。3桁までしか表示できない電光掲示板は「1.00」と表示した。それを誰も想定していなかったからだ。この大会で彼女は7回の満点を記録し、個人総合、平均台、段違い平行棒を制し、史上最年少のオリンピック個人総合王者となった。この記録は1997年に導入された最低年齢規定によって永久に破られないものとなっている。1980年モスクワ大会では平均台と床の金メダルと、議論を呼んだ個人総合銀メダルを加え、オリンピック通算9個(うち金5個)のメダルを残した。また1978年に世界平均台タイトルを、1979年には世界団体金メダルをルーマニアにもたらし、この時は感染した手で入院しながら平均台決勝を戦った。モントリオールでの彼女の演技は、器具の上での精密さの基準を塗り替えた。
ボリス・シャフリンの主張
「鉄の男」と呼ばれ、決して崩れない競技上の冷静さで知られたシャフリンは、1956年、1960年、1964年の3大会で金7個、銀4個、銅2個の合計13個のオリンピックメダルを獲得した。これは男子体操選手として2番目に高い総数である。1960年ローマ大会は彼の代表的な大会となった。個人総合、あん馬、跳馬、平行棒を制し、単一大会で4個の金メダルを獲得。1958年モスクワでは世界個人総合も制して完成させた。世界選手権でも通算10個のメダルを集めたが、それはソ連男子チームの選考が実際の競技より過酷だった時代のことである。シャフリンの得意種目は、力よりも神経が試される種目、とりわけあん馬であり、1960年と、32歳になった1964年に金メダルを獲得した。彼と台頭する日本世代との対決は、1950年代後半から1960年代前半の男子体操を特徴づけた。